無意味な校則が蔓延している
近年、「ブラック校則」なるものが問題視されています。
ブラック校則とは簡単に言うと、「無意味で必要以上に厳しい校則」のことです。
よくあるものでは、地毛が何色だろうが黒染めを強要したり、髪型の規制が細かすぎたり、携帯電話の持ち込みが禁止だったり、メイクや男女交際が禁止だったりといったものが挙げられます。
果たしてこういった校則に何か意味はあるのでしょうか。
ブラック校則は無意味
私としては、行き過ぎたブラック校則は生徒のモチベーションを下げ、学校への不信感に繋がり、本来の学習に支障をきたすものであり、極めて無意味だと考えています。
校則というもの自体は、学校全体の秩序を保ち、生徒に学習に集中させる為に必要なものです。
学校の中の法律とも言えるものが校則なので、校則が無ければ円滑な学級運営が成り立たなくなることもあるでしょう。
ある程度の頭髪・服装の基準やその他禁止事項を定めるのはその意味で必要です。
ですが、必要以上に生徒の個性を迫害するブラック校則は別です。
服装や髪型の基準を事細かに定め、地毛の色等の生徒の事情を無視し、少しの例外も許さないことに何の意味があるのでしょう。
話によると、とある学校は指定制服以外の衣服の着用を全く認めず、真冬に指定外のコートを着てきた生徒に処分を下したそうです。
問題としては、この学校がそもそも「防寒着」を学校指定の衣服に含んでいなかった点にあります。
つまり、どれだけ寒くても学校指定の防寒着が無いので生徒は防寒対策ができないということです。
先にも言いましたが、校則は学校全体の秩序維持や学習環境形成の為のものであり、生徒を余計なトラブルから守る為のものであるべきです。
ですが、こういった全く意味のないブラック校則はそういった本来の役割から逸脱しています。
生徒を守るのではなく、一部の大人の自己満足の道具になってしまっています。
学生生活は人生で1度きりなのに、そんな大人の身勝手に付き合わされる生徒はたまったものではありません。
自分達に従う生徒を見て悦に入り、従わない生徒には罰を与え無理やりにでも従わせる。
まるで恐怖政治のようです。
学校という場における主役は大人ではなく子どもです。
その子どもの個性や意見を片っ端から潰してロボットのような人間を育てるのが学校教育の役割なのでしょうか。
どうも、校則というもの存在自体を履き違えている学校が多いように感じてしまいますね。
自分の経験から
実を言うと、私の母校にはこういったブラック校則が数多くありました。
いくつか例を挙げると、異様に厳しい頭髪規定、ガムの所持禁止(停学処分)やビニール傘禁止、他クラス出入り禁止、男女交際完全禁止といったものです。
頭髪に関しては、男子の規則だけがやたらに厳しく、前髪が眉にかかっていたり、もみあげが耳の穴まで伸びているのもダメでした。
ちなみに女子は過度な染髪禁止と、髪が長い場合は後ろでくくればOKというものでした。不公平だなと思ったものです。
2・3か月に一度くらいの頻度で頭髪検査があり、スポーツ刈りの生徒以外はほとんどが不合格(もちろん私も)だったことをよく覚えています。
何度再検査を受けても合格できない生徒は授業中であろうとも床屋に行って髪を切ってくることを強要され、お金が無い生徒は頭髪検査を行う体育教師の所に自分のハサミを持っていき、先生の満足いくように切ってもらったこともありました。
それもその頭髪検査だけクリアすればいいのではなく、毎朝校門に担当の先生が立っていて、登校してくる生徒を細かくチェックしてもいました。
気になることがあればその場で教師に呼び止められ、強く指導されたので、毎朝校門をくぐるのに一々緊張していたものです。
今にして思えば正気の沙汰ではなかったと思います。
学校帰りにお腹かが減って公園のベンチでパンを食べていたら生徒指導の先生に見つかり、「指定通学路」から外れたということと、買い食い禁止の校則に抵触したということで厳重注意を受け、1週間草むしりをさせられたこともありました。
本当かどうか知りませんが、男女交際が発覚した場合は男女両方の保護者が学校に呼び出され、教員立会いの下、正式に別れさせるということがあったという噂も耳にしたことがありました。
果たしてこの校則に何か意味があったのでしょうか。
これらの校則は勉強に集中させ成績を上げる為のものだと学校は主張していましたが、結果としてあまり守らなかった私は第一志望の大学に合格できました。
くだらない校則は守りませんでしたが、勉強は頑張っていたので合格できたのです。
つまり、学生としてのモラルを守り、やるべきことをきちんとやっていればいいのであって、必要以上に生徒を縛り付ける校則は不要なのです。
令和となった現代、学校側もいい加減古臭い校則は見直すべきだと思います。
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